2017年12月18日月曜日

54年目の結婚写真

先日チラッと書いたのですが、両親を名古屋に迎えての本当の目的を達成する日が来ました。

三時半過ぎには仕事を切り上げさせてもらい、家に向かいました。朝の出勤時に今日の夕方に着込む事になる息子と私の分のスーツと靴は車に積み込んでありましたので、あとは両親と嫁さんと息子を写真スタジオに連れて行くだけです。
両親の婚礼衣装は前もって三種類ずつ候補を絞り込んでありますから、その中から選んでもらうことになります。

到着したのは予定より10分ほど早い4時20分頃。それからスタジオのお姉さんたちが、本日のスケジュール説明をしてくれましたが、この時点でもまだ今日の撮影が何のためなのかは教えていませんでした。

二階に上がってドアを開け、婚礼衣装の並んでいる部屋へ入ったところでやっとこさ嫁さんが口を開いて説明をはじめました。「実は、今日はお父さんとお母さんの結婚式の写真を・・・」と言ったきり涙ぐんでしまって言葉になりません。
親父はそれを聞いて逆に爆笑。まあ、そういう面でのデリカシーの欠片も無い田舎者ですので、そんな反応もあるだろうとは思っておりましたので、私には想定内の反応。orz

それでも、若かった頃に金がなくて撮れなかった写真を撮って、54年目に”人生の節目”を一つ付けてもらうことにしました。実際に暫く外で待っているうちに我々自身もスーツやドレスを着ることにしました。
やがて二階に呼ばれて行くと、顔は多少老けているものの、綺麗に化粧された母ちゃんとびしっとスーツを着込んだ親父が立っておりました。

スタジオの中に入っていって様々なポーズを取りながら我々も一緒に入ったショットを混ぜて全部で55枚ほど写真を撮りました。
スタジオの中では親父と母ちゃんが発する訳のわからない会話で皆がお笑い。それを聞いている実の息子の方は寒くて仕方がないのですが、そこは場の空気を乱さないように我慢我慢です。

30分程度だったでしょうか、全ての写真を撮り終えて皆が私服に再度着替えて下のモニター前でワイワイガヤガヤと騒ぎながら五枚の写真を選び出し、アルバムの色を最後に決めて全て終了。(母ちゃんは何とショッキングピンクを選びました。親父はのけぞっていましたが。w)

仕上がりはちょうど一ヶ月ごとのことでしたが、大変楽しみですね。金額は四万弱でしたが、プロに払った価値ある投資だと思えました。

家に戻ると今度は全員が揃って藤が丘で一番好きな焼き鳥屋へ行きました。大量の串をたのみながらも皆でグイグイ呑んで家族内だけで通じるような昔話に花が咲きまくりました。
その中で本当に驚いたのは、ある時期の親父は無茶苦茶危ない奴だったということでしょうか。中学生の頃をピークとして、子供だからこそ捕まらなかったような、ダイナマイトやバッテリーを使ったやばい魚取りや、鉄橋の上での命がけの危ない遊びをしていた話を聞いてめまいがしました。

今までの私の親父観というのは”石橋を叩いても渡らないし、そもそも石橋自体を叩かない”慎重な人間だと思っていたのですが・・・。いろいろと危ない輩という意味ではやっぱり俺は親父の血を継いでるんでしょうかね。

情報収集という意味でいろいろと収穫の大きな一日でした。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

サプライズ作戦大成功ですね!おめでとうございます
いい家族だなぁ・・・しみじみ・・・
(涙もろい奥様、可愛いですね)

>鉄橋の上での命がけの危ない遊びをしていた

スタンドバイミーみたいな感じですか?
お父様が子供の頃だったら私たちや今の子供達より
もっと自由にあれこれ出来たのでしょうね。

small G さんのコメント...

ありがとうございます。取り敢えず作戦成功ということで、まずはメデタシでした。

親父の説明を聞く限りでは、いろいろな形の鉄の素材を持っていって、レールにそれを置いておいてシャープなナイフの元を作るのが流行っていたそうです。それが見つからないようにするためにはやはり川の上の鉄橋で隠れながらやるのが効率良かったらしいです。w