2016年9月7日水曜日

100年経てば・・・

いつも患者さんを治療していて考えることがあります。

”いま治療している患者さんをもっと的確にスマートに直す治療法はないのか”という事。ヒポクラテスに時代から比べると人間が知る人間の体の謎に対する理解、疾病に対する治療法等はそれこそ何光年も先まだ進歩しました。取れる方法論も手段もヒポクラテスの時代とはそれこそ比較になりません。

血液を数cc採血し検査機器に通すだけで何十種類もの検査データがアッという間にはじき出されて目の前に展開されますし、CTやMRIの中に入ってもらい、数十秒から数十分の間に開頭や開腹などせずとも無血の状態で体の中の臓器や病変の状態を目視で理解できる状態に画像が再構成される時代。

まさに、100年前のドクターにでさえ今の医学機器で得られるデータの量と速度と質は神のレベルです。それを見て我々は判断を行い、治療方針を決定し無数の薬剤の中から最適と思われるものをピックアップして治療していくわけですが、それでも誤診は無くならず、薬や手技がバッチリあたって現代の医学の知識からして適切と思われる治療がなされても治らない病気はゴマンとあり、ベストの治療が尽くされても年齢の壁は押し戻せず・・・。

今から更に100年後には21世紀の”今”やっている最新の治療というのが、必ずや後のドクターに「あり得ない」というように言われる日が来ることでしょうし、実際そうでなければならないと思います。

しかし永遠に変わらない事実がどの時代にあってもただ一つだけ有るとすれば、それは病気は患者さんの体と心が治すものだということ。やはり、病気が治る手助けをしているのは医師であっても、体の本来持つ巧妙な自然の仕組みを使う、もしくはそれは使った拡張した手技を使って病を治すのが自然でベストのやり方でしょう。医学の進歩が副作用の少ない、体本来の免疫力や分子の仕組みを使って癌や痛みや病気を治す方法が、種々の学際を超えた領域とスパコンとのコンビネーションを使って津波のように芽吹いてきている時代です。

待てば海路の日和あり。昨日まで治らなかった病が明日には治る日が来ることもこの世界では稀ではありません。

それでも尚、病を治すのは医師ではなく患者さん自身だということを忘れず、我々はその回復をお手伝いするメンバーだということを肝に銘じて日々研鑽するしかないと常々思う藪医者でした。

人気ブログランキングへ

0 件のコメント: