2014年2月8日土曜日

20年ぶりの再会

朝起きて、いろいろとおみやげを買い込んだり、チビ達と昼飯をリンガーハットに食べに行たりで午前中を過ごし、その足で義父の病室へと向かいました。
昨日の昼間では白血球低下に伴う感染予防のために小児の来訪は禁止となっていた病室ですが、今日からはチビ達もOKです。ところが病室に入ってもチビ達三人はお爺ちゃんと何かをすることもこれといって無くて、5分もせずにいきなり「疲れた」だの「帰りたい」だのを連発。w
お爺ちゃんもそれを受けて思わず「帰れ~」との御宣託でした。もともと小さい子が少々苦手のお爺ちゃんですから、きっと持て余してしまったんでしょうかね。

私自身は次回の再会を約してそのまま部屋を後にして久しぶりに出会った甥や姪のために散財開始です。帰りの道すがら、近くにある巨大なショッピング・モールである長崎夢彩都へと向かいました。まずはチビ達のために午前中のジャスコのおもちゃ屋に引き続き訳の分からないおもちゃやカードやフィギュアを購入、この場に居ない姪には可愛い文房具をしこたま買い込みました。それにしても訳のわからぬフィギュアが6000円だの4000円だのというのには納得がいきませんな~、、、。

更に北朝鮮の最新ファッションのようなカッコで身を固めた義理の妹に「お前それはないぞ~!」と言う感じで服を上から下まで買ってやることにしました。はじめはかっこいい財布を云々と言っていたのですが、選んで持ってくる財布がどいつもこいつも選んだようにダサいデザインだったので、尽く却下。w

財布はやめにして近くにあるちょっと高級な服を売る店に入りシャツ、その上の重ね着用のセーター、そして下のパンツ二着とサマーコート、コーディネートを繰り返しながら試着室から出たり入ったりさせながら決めていき、全部合わせて5着買い込んで支払いました。
まあ、これで少しはまともな現代人風のファッションになったかな。

さて、今回は帰郷のもう一つのメイン・イベントである先輩のH先生とその同僚のT先生との再会がありました。6時過ぎに、義妹たちと別れて歩いて入っていっためがね橋の側でランタンの飾りが綺麗に飾ってありました。
その後、その光の波の中で揺らめくランタンをゆっくりと眺めながらアーケードの中を進んでいきました。いつもは見ないような大量の観光客があちこちのお店の前で列を作っていて驚いてしまいました。最後にそこを通り抜けて銅座の中にあるオコゼ料理専門店の小笠原というところに入ってH先生とT先生の到来を待ちました。
美しく作り上げられたランタン。素晴らしい造形でした。
15分程で両先生方が到着し、早速旧交を温めたのですがH先生とはもう20年ほど会っていなかったのにあたかも昨日別れたかのようなあっという間の邂逅でした。やっぱり尊敬できる先輩を持つのは僥倖以外の何物でもないなと感じた瞬間です。H先生はMITで、私はNIHとVCUでの研究生活。T先生はこれから留学先の最終決定ですが、今回は海外での研究の話も熱かったですね〜。

三人でゆっくりと激ウマのオコゼ料理を堪能しながら数時間、今度は河岸を医学部そばの浜口の焼き鳥屋に移してまた数時間。気づけば12時はとっくに過ぎていました。研究の話、医学のはなし、教室運営の話などいろいろと変えながら何れも話し尽きることない感じでした。

名残惜しかったのですが、再会を約束してそのまま私一人で遠く離れた蛍茶屋というところまで歩いて長崎の夜を散策しました。一時間ほど歩いた頃にはちょうど酔いも覚めた感じで、残りの山道をタクシーで移動して家に帰るとそのまま(昨日に引き続き)コタツでグーグー寝てしまいましたとさ。

ほんに日本のコタツは気持ちよさすぎ!

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