2014年1月8日水曜日

日本帰国の日

結局昨日の夜からほとんど寝ることも出来ず、と言うかわざと時差を作るためにある程度起きる努力をしていたわけですが、自分ももしかしたら飛行機に乗れるかもしれないと勘違いして元気に起きていた息子と朝を迎えました。
嫁さんもほとんど深くは眠れない状況でしたが、朝四時過ぎにはほぼ出発準備も整い、四時半の出発にむけてパスポートその他を最終確認して服を着こみ最後の別れいの挨拶をするために二時間ほど前に寝たばかりの下の娘にまずはサヨナラを言おうとしたところ、完璧に寝ぼけていて腕で私の手を払いのける始末。w 仕方ないので、娘の顔を眺めて少しだけほっぺたを撫でて心のなかでサヨウナラを言いました。

次は長女ですが、二階でスヤスヤと寝ていると思った上の娘のところへ行ってみると何と下を向いて文字通り嗚咽しながら涙をポロポロと流していました。
昔からこの娘は下の子と違って人と人の別れに非常にセンシティブですぐに涙が出てきて止まらなくなってしまいます。そういう点での涙もろさは嫁さんも似たり寄ったりなのですが、嫁さんに言わせると「ここまでは泣き虫じゃなかった」ということでした。

とりあえず、ハグとキスをして家を出ました。車に乗ったのは私と嫁さんと息子。飛行場へはあっという間でしたが、途中我々を猛スピードで追い抜いていった白いトラックが我々の目の前で脇道で隠れていたオフィサーにプルオーバーされましたね。w

飛行場に着いたらカウンターでチェックイン。今回はじめてAAを使いましたが、チェックイン時は登場一時間半ほど前でしたがまだまだ人は少なくて助かりました。我々がチェックインを終えたくらいから急に人が集まってきたのでとりあえず良かったかな。

ボーディングの前に嫁さんと息子としばしの別れの時を過ごしましたが、息子はきょとんとして私の顔を見つめ、今回の旅では「自分が飛行機に乗れない」と言う事実を理解して呆然としていました。可愛いものです。嫁さんはというと、、、案の定、顔全体が涙で濡れてしまっていつまでもいつまでも見えなくなるまで手を振ってくれていました。

子供三人と嫁さんをこうやって海外に残していくことなど自分の人生設計の中には全くなかったのですが、やはり子供の将来という大切な選択を成就させるためにはこの方法が最もそして最善の方法であると信じてこうする道を選んだのでしかたありません。夫婦がお互いにベストを尽くして頑張っていくのみです。

さて、飛行機はまずリッチモンドからテキサスのダラスへと飛んだのですが、スタートからいきなり「飛行機を後ろに押し出すタグ・カー」の故障で一時間遅れ、、、。それはまああいいとして今度はダラスについて」成田へ向かう便もあり得ないことが起きて一時間半遅れてしまいました。

それは何が原因だったかというと、一人の子供でした。中国語を話すマレーシア人の親に連れられた2つか3つくらいのハーフの子供が本当にボーディングのゲートから火の着いたように泣き続けていたのは知っていたのですが、母親も周りの人に窘められるくらい烈火の如くその子を怒っていて同仕様もありませんでした。時間が経てば泣き止んで、、、くらいに思っていたのでしょうが、機内に入ってもその子の泣く声は止むことはなくもうほとんど幼児虐待に近いような感じの泣き方で通路の真ん中で大泣きです。
結局どうなったかというと、この親子は一緒に乗っていた他の親族とは別れて少なくとも「合う以降の便」での帰国を促され、それに従わざるを得なかったようです。
積み込まれたその親子の荷物を再び機内の格納部から引き出すためにまたエクストラの時間がかかってしまい一時間半の遅れとなってしまったのでした。

子供がなくことには何の抵抗もに私ですが、こんなことが目の前で起きたのは初めてだったので、ただただ驚いてしまいました。もう少し宥めすかし方もあろうとも個人的には思ったのですが、子供によっては飛行機へ至る狭い通路を通って更に狭い飛行機の機内に入ってしまうと閉じ込められたような感覚を覚える子がいるのかもしれないなと考えてしまいました。
大人でも閉所恐怖症で飛行機に乗れない人もたくさん言いますから、子供だけを責めるわけにもいきません。

それにしてもこの親子、明日以降フライトに再挑戦するにしても眠剤か何かを使わない限りは多分ムリだろうなと思うんですけどね。どんなもんでしょうか。

これから機内で地獄の13時間半が始まります。w

ではあとは到着して続きを書きます。

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