2017年1月29日日曜日

路上生活者の人たちのお話・2

さて、アメリカでは入国拒否の大統領令を15州及びコロンビア特別区の司法長官が違憲として退けようとしております。アメリカの強いところは、頭のオカシイ連中には必ず少数意見であっても表に出てくる反対者がいるという点。今後の推移を見守りたいと思います。

さて、前々回に書いた路上生活者の人たちのお話の続きですが、これらの人たちの多くは役所の生活保護課の人達と何らかの繋がりがあります。好むと好まざるにかかわらず・・・。(この手の話に関しては名古屋での出来事しかわかりませんので、他の地方都市とか他の大都市の話は私のものとは若干、もしくは大きく違うものなのかもしれませんのでその点は予めご了承を。)

生活保護を受けている人に対しても受けていない人に対しても、実は役所の保護課の人達というのは名古屋市内に居る殆ど全ての路上生活者というのをほぼ完全に把握しているのだそうです。(この話は保護課の人達と日常的に仕事の上で交流している当院の社会課の複数の人達から聞いた話ですので間違い無さそうです。)

本当にローラー作戦と言うべき地道な方法で把握を続けていて、公園、高架下は言うに及ばず、橋のたもと、河川敷のダンボール、草むらの中の隠れ家、ビルとビルの間の隠れ家などもきちんと巡回して健康状態なども把握しているとのこと。
その中で、これはイカン!と思える人などは説得を試みて何とか病院に来てもらって隠れた病気がないかなどをまず一次スクリーニングしてもらったり、健康そうに見える人などはその身柄を安全で三食が供されるような救護施設に移したりしていくのだそうです。

実際にここでも何度も書きましたが、例えば病院に来たそういった人たちの中には先ず体中が猛烈な臭気を放って居ることも多く、体中の汚れを落とすのに二度シャワーや風呂に入ってもらうこともままあります。
それでも、体表の汚れは一度で落ちないこともあり、長年にわたって皮膚の上に皮として固着してしまって、数回の入浴によってやっと綺麗になっていく人も時にはいるのです。

私はこういった行為は一度社会のセーフティネットからこぼれ落ちた人たちへの再度の挽回策だと考えています。三度の食事という習慣に慣れない人を三度の食事に慣れてもらい、体を清潔に保つことの気持ちよさを覚えてもらい、屋根のあるところで眠る良さを覚えてもらったあとで、次の施設に移ってもらい、作業を覚えてもらったり、自立する道をじっくり探してもらうことの手助けをすること。

実際には超高齢であったり、体や精神に障害があったりして上手くシステムに乗せてあげられない人もいますが、それでも私はこういった行為は”余計なお世話”だとはとても思えません。憲法で定められた日本人の持つ基本的権利を享受してもらうとともに、納税者として再び社会に戻っていってもらう大切な過程だと考えています。

”役立たず”と言われる人達がその安全を阻害されず生活できる社会こそがまっとうな世の中だと私は信じています。

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2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

>生活保護を受けている人に対しても受けていない人に対しても、実は役所の保護課の人達というのは名古屋市内に居る殆ど全ての路上生活者というのをほぼ完全に把握しているのだそうです。

これは凄いですね。
プロって感じ。
(路上生活してる人ってそれぞれいる場所が固定されてるんですね。)

>自立する道をじっくり探してもらうことの手助けをすること。

ただ保護するだけでなく、自立するための手助けって必要ですよね。

small G さんのコメント...

実際の話、発展途上国への援助と一緒でお金だ渡すような援助は実は援助努力としては最低ランクだと思います。
お金だけ渡した場合は人は殆どの場合それに頼り切るばかりで改善しようとしない人が多くなるというか、逆にスポイルされる人が多くて・・・。共産主義って最後はこんな感じなんでしょうかね。w

「保護を短期間でもいいから受けて頑張って次のステップへの一助にするといいですよ!」といいたいような人に限って、粘りに粘って本当に体を壊すまで働き詰めなんて人も実はよく見るんです。

世の中なかなか想像するようなふうには変わりません。