2015年9月22日火曜日

家族として死を受け入れる事

最近、ほぼ毎日のように患者さんが亡くなられています。

自分の患者さんだったり、他の先生の患者さんだったり。死因ももちろん様々ですが、最近は多くの場合その殆どは加齢に伴う老衰が原因といえるものがほとんどでした。無論、亡くなられない時は誰も長い間お亡くなりにならないようなことも有るのですが、続くときは比較的一週間で二、三人お亡くなりになるというようなこともあります。

多くの方は八十代後半、九十代、そしてもう少しで三桁に達するようなお年の方々などが多く、その年齢を見ても私の感覚的にはもう天寿。この歳にもし自分が亡くなれば親戚や家族にはお祝いしてほしいなと思うほどのお歳です。
六十代後半でも、年に数回亡くなられる癌患者さんのケースなどはお亡くなりなられると正直「亡くなられるには若すぎる」と感じてしまいます。

家族の方々の反応も当然のように様々。いくら入院されている方が御高齢であろうと、心の準備が出来ない状態でのお別れは誰にとっても辛いもの。特にその可能性が低かったような方で突然と言えるような最後を迎えられたご家族の方の中には驚き嘆かれる方々が多いのは当然です。

心の準備が出来た居ますとおっしゃる御家族の中にも、やはり最後を迎えてみたら御家族、御親族が現世から去って行かれることに対しては取り乱される方もいらっしゃるのもまた事実。
現代の日本という国においては若い方に限らず、大概の年令になるまで人の死というものを実際に見たことがないというような人はゴマンといるという調査結果を何処かで見たことがありますが、それだけ死というものが家族の日常から切り離された形で存在しているということでしょう。

結局、病院での看取りということが世の中の大半の方における現世とのお別れの場所となってしまったこの国ではそれも自然とそうなるというか、致し方ないことなのでしょう。

しかしいつも思うのは、順番を超えて亡くならないこと。
それは家族を二重に悲しませないための最も大切なことだと考えるのです。

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