2014年4月28日月曜日

認知症のこと

私は精神科医ではありませんが、日常の臨床の場面では当然のように多くの認知症の患者さんがたとも向き合うことになります。

お話をしていてあまりにもいろいろな言葉を忘れてしまって全く咬み合わないお話をする方もいれば、本当に固有名詞が思いだせなくて困っている方など色々ですが、多くの場合共通しているのは「昔のこと」はかなり良く覚えているということ。

中には自分の記憶力が低下していることを真剣に悩んでおられる方も居て、それを繰り返し繰り返しドクター側に訴えてこられる方も当然居ます。ところが、残念ながら今の医学ではまだまだこの「認知症の進行」をとめることはできません。
抗痴呆という事を狙って出してくる薬は各社が世界中で必死の研究を続けているにも関わらず、厚い壁で研究者たちの挑戦を尽く跳ね返していると言う状態です。

それにしても、こういった認知症の方々に出会って思うのは「明日は我が身」かもしれないと言うこの一点。
患者さん方の過去の職業や知性は余り痴呆とは関係ないというのが私の感触。全く頭を使わないような過去を送ってきたにも関わらず、90過ぎても頭脳の衰えを全く感じさせない方もいれば、税理士や大企業の高度技術の研究者だった方でもやはりこの「認知症」から逃げることが出来なかった方も沢山居ます。

実際の所、認知症の発生理由も大まかなくくりをするだけでも何種類もありますし、それを病理的な分類や分子生物学的な分類で分けて行ってもいろいろとまた複雑に別れる事になるという事実からしても、認知症を制圧するということがいかに複雑で困難な挑戦か想像がつこうというものです。

でも、思うんですよね。
人の老化というのは、機能を獲得していって生物学的にどんどん成熟していって各機能がピークを迎え、やがてその機能が次々に衰えていって更にそれを失ってしまって、、、という過程。そのうち体は大きいものの赤ん坊に戻っていく、、、と言う過程だろうと。

それが「悪いこと」かといえば、それは無いと思います。
家族としてみれば亡くなる直前まで元気ピンピンで、矍鑠として〜というのを望むのかもしれませんが、そうでない生き方もやはり「人」として自然だなと強く思うのでした。

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