2012年10月20日土曜日

JSPS(学振)の集い

今日は東海岸にいるポスドクとPIの集いが学術振興会のWashington D.C.オフィスであった。
北はハーバード、南はUNCまで総勢21名。そのうちPIは4-5名だったかな?目的はアメリカ東海岸在住の日本人研究者間の交流を活発化することによって互恵をもたらし合うきっかけを広げようというものでした。
実際、第一回ということもあり、どれほどの成果があがるか集まるまでは予想もつきません。最初に学振のオフィスがあるワシントンDCのLストリートに午後三時に皆集まり、そのビルの十階へ。色々と異なった研究をしているほぼ全員がバイオとメディカル関係の人間達で、其々のエリアにおける日本人達の集いと交流の様子を自己紹介の後に説明し合いました。
今まで日本人はと言えば、同じアジア人でも韓国人、中国人などの「ネットワーク命」の人達と違って、ハッキリ言えばあまり積極的にコネクションを結ぶという行為自体をして来ませんでしたた。しかし、いくら日本人が手先が器用で仕事熱心で十分な能力を持っていても、物凄い互助組織で人を上に引っ張り上げ合うこの手の人達に対抗するのはナカナカ大変な時代になってきました。フェアな競争は当然大切なのですが、クリーンな事「だけ」でやってくる人達でないことは研究者の中ではある程度暗黙の了解があるのも事実。
やはり「数は力」であることはある程度受け入れざるを得ない事実。日本人が少ないとはいっても日本という科学の先進国で十分上質な訓練と教育を受けてアメリカにやってきています。にもかかわらず、相変わらず存在する言葉の壁と日本人の勤勉さを逆手に取り便利屋として使う一部の外国人PIの存在はアメリカにおいて自分のラボを持とうとする時には大きな壁となってくるのです。
例えば、言葉では問題がなくても研究者としてアメリカで独立しようとした時に自分の研究エリアとと被る研究を「一切」許さないばかりか、邪魔をすることをオフィスでシッカリと言い聞かせる輩は一人二人ではありません。また、例えばNIH等であれば在留期間中にグラントの書き方やその種類などの説明などに関して教育など全くしてくれません。
その状態で外へ放り出すのですから、そこから上へ這い上がるにはどうするかといえば個人の運と努力に、、、という話では何時まで経ってもアメリカにおける日本人PIの数など増えるわけがありません。無論、そんなことなど関係なく一流研究所やインスティチュートから周りの人からノウハウを学ぶ形で出てくる人達もいるのですが、それももとよりそのような方法論を教えあい、経験を語り合うシステムが存在していればもっと多くの人達が運を天に任せること無くシステマティックにチャレンジする可能性が広がるわけです。
さて、ちょっと話が飛びましたが、オフィスの中での話は時間の経過とともに白熱していき、単なるポスドクの交流の話を越えて、日本政府の科学研究政策における様々な問題点などへと話が飛び始め、JSPSの方が話を取りまとめてくださらなければ、冗談抜きで、多分翌朝までノンストップで話が続いていた可能性がありました。
さて、オフィスで話し合った皆は場所を移してタイ料理屋へ移り「本格的な話w」にうつりました。この手の話は個々の事情やバックグラウンドが全く違うので本当に話を聞こうとすると。若い研究者の人達の裏話や個々の特別な状況を考慮しないと一般論では到底対処できません。実際に自分の隣りに座った気鋭の若手研究者の苦労話や、ベンチャーを立ち上げたばかり、かつハワイ大学に呼ばれている青年研究者、ハーバードの日本人研究者交流組織の一つである十六夜からやってきたシリコン上で遺伝進化研究をしている青年などの話を聞いていると彼らの孤軍奮闘ぶりが嫌でも理解できました。
JSPSの八人の担当者の方々も我々の席の間にランダムに入ってきて熱心に意見を汲み上げてくださいました。物凄くポジティブに我々の勝手で我儘な個別の意見を吸い上げてはメモを取っていってくださいました。これが今後の新たな展開を生み出すためにはこのようなハブとなる組織の存在が必須だと思います。JSPSの方には今後の継続的、システマティックな情報、資金、場所の提供をお願いすると共に、先に来たものとして我々自身も積極的に動いてあとから来る若人達により良い未来への挑戦環境の基礎を提供する義務があると思いました。
家に帰り着いたのは夜一時くらいでした。精神的には高揚していましたがさすがにちょっとだけ疲れました。
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