2012年5月18日金曜日

不死というのは永遠に業火に炙られるようなものだよな

何年か前、DVDでHeroesというのをシリーズの途中まで見ていたんですけど、当時はシリーズがまだ終わっていなくて、そのまま忘れていました。
ところが、Netflixを眺めていたらそのシリーズが完結していることに気づいた。シリーズ4まで。正直言って、ちょっとこの超能力をテーマにしたドラマに描かれる暴力的シーンの気持ち悪さに少々辟易していたんですけど、まあ、気晴らしにグラントを書きながら横目でチラチラ見てます。
しかし、中で描かれるある女の子の超能力で「不死」というのがありました。正直言ってほんとこの能力だけはタダの天罰だなと思いましたね。不死、というのは手塚治虫なんかの漫画でも中心的なテーマになっていましたが、やはり不死だけは喜びでも何でもないですね。
こんなものを求める連中の気がしれません。というか、何でかな?というのが正直な気持ちです。例えば自分だけ死なないのだとしたら親の死、配偶者の死、子供の死、親族の死、友人の死、全員の死を無限に見つめ続けながら生き続けるのです。こんなブラック・ジョークとても受け入れられません。(笑)
生まれた順に年寄りを看取り、若い世代に看取られながら死んでいくというのが理想ではないでしょうかね。単純ですが、私はそう思ったのでした。死をめぐって延々と哲学と宗教が無数のアイデアを世界に上梓してきましたが、この不死という点に関してはまあ、オレには全く要らん力だなと思った次第でした。
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