2011年8月24日水曜日

HEAVY

昨日の地震の興奮はアメリカ人の間では未だ少し残っているみたいですが、日本人の間では既に笑い話レベルにまで落ちてます。今日は昨日から実験を始めた女の子に細胞培養の手ほどきをしました。それが終わった後で、コラボをしている日本人のH先生のところに彼女を派遣して、そこにいる「手の綺麗な」(これは我々サイエンティストの間では実験が上手い、信頼できるという意味です。)テクニシャンに現在進行形の状態でウェスタンを教えてもらうように手配しました。本当に有難いことです。
さて、実はここ数日来視ているのですが、家のNetflixを検索している時にHEAVYというドキュメンタリーを見つけました。簡単にいえば、600ポンド台と300ポンド台の「超々肥満」の男女二人がその異常なまでの肥満により生命の、そして人生の危機を迎えるという事態に至り、肥満を解消すべく、専門のトレーナーを付けての大減量作戦を決行するというものです。この人、特に600ポンド台(300キロ弱!)という肥満の男性などは歩くこと自体が大変な苦痛で、トレーナーに言わせれば「冷蔵庫を背負って歩かされるようなもの」という表現を使われるほどです。確かに数十メートル歩いては座り込むことの繰り返しで、あまりの肥満故に膝窩にリンパ浮腫の巨大な塊がぶら下がっているという状態です。必死の初期トレーニングの後、100ポンド近く痩せて、脂肪除去手術も受けて、最後は目出度しという話だったんですが、これはシリーズ物になっていて、この人達の家族その他も一緒にまとめて出てくるんですがその人達も総じて肥満という状態。これでは相対性理論と一緒で、自分のデブさ加減に霞がかかるというものです。(笑)
まあ、実にアメリカ的な番組といえばそれまで何ですけど、今回、視ていて思ったことをここに正直に書く事にしました。以下の全てのブリットの前には「超肥満の人は」という言葉がつくものと思って下さい。
  1. 意思が弱い
  2. 周囲の人に一人以上肥満傾向の強い人がいる(または食べ過ぎる友人達が居る)
  3. 過剰な摂食に関する罪の意識の欠如
  4. 幼少時から肥満であった人が多い
順を追って付け足していくと、1に関してはその他の要因が複雑に絡み合って形成されているので、最も難しい原因と言えるのでしょうが、眼の前に置かれている食事に対する誘惑に「全く」ブレーキがかからないことが非常に典型的でした。何かをしだしてもすぐに止めてしまい、直ぐに言い訳を大量に始めたり涙を流すということ。何にしろ「ちょっとした我慢」というものが食い物だけでなく全般に出来ないんですよね、、、。
2に関しては実は大変に大きな問題だと思うのですが、半端でない量を周りの人間も平気で食べているために、折角減量に挑戦している人も、まるで強制的にその食事に付き合わされるように再び「大量に」食べてしまうことです。しかも、飲み物からして大量のsweetened teaとか脂の塊のような料理の波。中にはアルコールも入る一が居ますから何をかいわんやと言うことですが、太っていない人が「どれほどの量を食べているのか」というリファレンスが無いんですね。
3に関しては2とか1とかにも密接に絡んでいるんでしょうけど、自分が喰っているその大量の料理というものがどれほど激しく平均値から乖離している異常値かということに関して全く比較するスケールを自分の中に内在させていないという事でしょう。ですから、こんなに食ったらどうなってしまうのかという近未来予想が全く出来ず、かつ、それに対する罪悪感も完全に欠落してます。
4に関してはこれまたほかの事と繋がってますが、残念ながら、親が超肥満である場合子供も既に「幼児」の時点で「超肥満」若しくは「肥満予備軍」で有ることが多いのです。二の腕なんか5,6歳で既にパンパンという子が沢山居ますので。
こういうことっていうのは上にも書いたように、どの項目であっても、まさしく竹の根っこのように互いに地下で深く深く繋がって問題を深刻化させているんでしょう。アメリカで加速している肥満問題。日本も対岸の火事ではないのではないかと思います。

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