2011年3月30日水曜日

東電さようならか、それとも焼け太り?

隠蔽というものが如何に人を追い込んでいくかという最良の教訓を見せてくれているという意味で、ブッチギリで最先端を走る企業が東京電力。
後手後手、全てが後手、(菅政権のことは今日も一切書きません。政府の体を成していないので。)何をやっても後で行った報道ではあの数値は間違いでした。とか、最も大事な判断材料のもととなる基本数値でさえ、その手の初歩的な間違いだらけ。これでは信じろという方に無理があるでしょう。
見ていて思うのは東電という企業の中にいる人間の高学歴とか肩書きが「まったく」この人達の判断力や仕事の成果としてのアウトプットとは乖離しているという事。責任を取るという意味で人は腹を括らないと、その一言一言がどういう風に日本という国では人間を追い込んでいくのかまさに見本のような毎日が繰り広げられている気がします。やはり人選と企業内での教育、人材育成過程に大きな過ちがあるんでしょうね。大局を見て矢継ぎ早に指示を出せる人材が「全く」居ない。
今頃になって、地震直後からどういう風にミスが重なっていったかという情報がありとあらゆるソースから漏れてきていますが、その悲惨な記録を見る限りでは、間違った判断の積み重ねが自分を含めて、全てを隘路に追い込んでいるのが時系列で見えてきます。
「これまでの想定を越える」災害という話がいつでも出てきますけど、想定というのはどこまでも高く持っておくべきもので、かつ、今回の福島原発のことでも、以前からこの旧型タイプのGEの原子炉の危険性が指摘されていたというのを無視していたんだから、もう何をか言わんやという事。貞観地震の記録の無視も今になってハッキリしてしまったことですし。
積もりに積もった過ちが最終的にこういう天災という形の災害が押し寄せたことによって、その舞台裏のお粗末さが表に一気に出た形になってしまいました。丁度、舞台に立てかけていた張りぼての装置がおもいっきり観客席側に倒れこんできた感じで、そのあばら骨が見えてしまいましたという所でしょう。鉄骨で出来た立派なビルと思っていた建物が、実は竹を結びつけて組み合わせたお気軽セットだったとバレちゃいました。一流企業も、その内情を知ればお粗末な経営陣に支配されていましたとさ、、、。本来ならこんな小物達でも、賀詞交換会では「あの」東電のお偉いさんとして巨額の退職金をもらって良い役付きで次の関連会社にでも出て行けたのでしょうが、今では街を歩けば石でも投げつけられかねません。
前も書いたんですけど、電力とかガスとか水道とかその手の巨大インフラは、民営よりも半官半民のほうがスタイル的に合ってるんじゃないかなと思うんですけどね。馬鹿な公務員が原価計算もしないで原料や建物を作るのを抑えつつ、莫大な利益は決して上げる必要のないシステムに作りなおしてしまえば、その手の料金も抑えられるしとは思うんですが、じゃあ公務員的なシステムにしたらその公務員の駄目っぷりをシステムに注ぎこむという選択枝もやはり、ウーンという感じで、、、。
システムが作られるまでは相当に優秀な人間が日夜努力を重ねなければならないと言うのが、こういう巨大インフラ構築会社の宿命なのでしょうが、それが一旦出来上がってしまった後ではそこまで創造的・かつ柔軟性に富む人間は要らないわけで、後は極端に言えば保守とメインテナンスの世界ではないですかね。そんな事はないと言いたいんでしょうけど、新規電源の開発だって、一旦それを遂行するシステムが青写真として出来てしまえば、場所を変えて施設の規模を変えて地元の人間との調整を繰り返すだけ。調整能力と事務員的な能力が要るわけでしょうが、ここ辺は経営者の器が幾ら小さくても特に問題はなさそうです。
政治家や地元の議員と屑ヤクザ諸々の利益関係者が横から茶々を入れてくるのを小銭で追い払うのが一番の仕事でしょうか?w
どうして日本からは世界を動かすような大きな人物が「巨大企業から」出てこないんでしょうかね。誰も、創業者ではないタダのサラリーマンだからなんでしょうね。例えば、世界X位の巨大銀行とはいっても、その内実たるや、やはりタダの銀行員の集合体、、、。ネズミのような顔をしたネズミの親分がマンホールの中で王様になっているだけですから、所詮は銀行「員」、銀行「家」足り得ませんわな。まあ、どんな企業にいても、退職金と退職後の渡りとを人生の楽しみにしてるような連中には世界を動かせるわけ無いか、無いわな。(笑)
確かに「下請け」の会社は誠心誠意ですね。

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